フランス留学tips その2〜映画・本屋・レストラン

フランス生活も一区切りしたので、記憶の整理のためにフランス生活のよしなし事をまとめています。
今回は、娯楽についてです(映画館とか本屋とかレストランとか)。

・映画について。
映画と映画館の検索には僕はAlloCineというサイトを使っています。
http://www.allocine.fr/
ここで映画の名前を入れて検索すると、映画館の情報が出てきます。ただし、パリ市内よりはパリ郊外の映画館の情報が多く出てくる気がします。
あと、フランスはやはり映画大国で、映画館の料金が日本より断然安い。25歳以下の人は、4€で映画が見れます。流石。

・本屋について
 St.Michel(ノートルダムのあたり)にあるGibert Jeuneというお店がよく使われています。もしくは、そこを南に10分ほど歩いたところにあるGibert Josephもとても大きいです。この二店舗のいい点は、新刊と同時に「古本livre d'occasionが置いてあるところ」です。
 古本と言うと、あとはOpera近くにあるBook Offも便利です。フランス語の本、日本だと新潮文庫とか岩波文庫に相当するPoche版の本は結構叩き売りされていますので、古典に今日がある人は定期的に覗くといいと思います。
 以上がメジャーどころです。しかし、フランスの本屋の真髄は町の本屋さん(日本では死語)にあります。古臭い感じの内装に、大量の本。本をパラパラとめくるうちに、感じのいい店員が話しかけくる。雑談から思わぬ情報が得られることも(僕は買った本の著者を紹介されました)
 ここではさしあたり、モンパルナスにあるTSCHANN Libraireというお店を紹介しておきます。
http://www.tschann.fr/
 他にも色々といい本屋はあるでしょう。こんな感じのいいな本屋があった、という情報がありましたら、ぜひ教えてください。

・レストランについて
 フランスのレストランは基本的にめちゃ高いです。それなりに食べると、もう25€ぐらい取られます。ですので、事前に行く店は調べたいものです。そういうときに便利なのは、カイエ・ド・パリというページです。
http://www.cahierdeparis.com/
 このページは地区とお店の種類(バーかカフェかレストランか等)で検索がかけられ、その上紹介されるお店の質が非常に高い、ので絶対おすすめです。ちょっと高いのであまり店はまわれていませんが、ここで紹介されているBon accueilというエッフェル塔近くのお店は、本格的な料理をそこそこ安く出してくれます。
 あとは、日本のソバにあたる(と勝手に僕が思っている)フランスの庶民的な料理といえばガレット・クレープです。大体どこにでもあります。よく僕がいくのは、creperie du vieux journalというモナパルナスのお店です。看板猫がとても可愛いです。
 日本料理が食べたいのなら、オペラの日本人街に、とくにRue Sainte Anne行くのがいいでしょう。そこら辺の日本料理屋は、結構信用ならないものが多いように見受けられます。そのなかでも、akiというお店はそんなに高くなくて結構おいしいです。お好み焼きや、丼類が食べられます。
http://www.cityvox.fr/restaurants_paris/aki_200059476/Profil-Lieu

と、今回はこんなところで。
 

フランス留学tips その1〜ビザ取得・大学登録手続き・滞在許可証

フランスに留学すること、早8ヶ月となりました。
反省も兼ねて、留学の手続きについて覚書を記そうかと思います。
これから留学を考えている人の参考になれば幸いです。
・今回のtipsのテーマ
 ・ビザ取得のための必要書類
 ・フランスの大学の登録手続き(事務登録と学科登録)
 ・滞在許可書の取得

(フランスでの口座開設やネット契約については、また日を改めて書くつもりです)

(以下は、10月に大学開始の場合のスケジュールです)
・3月ー5月…キャンパス・フランスの手続きにストレスをためます。
これが一番大変です。予想外のことばかりでした。キャンパス・フランスの1年目に当たったことが、僕の不幸だったのだと思うしかないです。
さて、キャンパス・フランスの具体的な手続きについては、こちらのブログにとても詳しく記されていますので、ご参照ください。
http://yaplog.jp/mieux-que-rien/archive/73
足りないことといえば、面接の内容ですね。
面接は、フランス語で行われました。すっかり油断していたので、かなりしどろもどろになって話してしまいました…
内容は、フランスへの留学動機(なぜ?専門がフランス政治学・哲学だから)、志望大学を選んだ理由(どうして?そこにフランスにその分野の一人者がいるから)等の雑談で、時間は20分ぐらいだったと思います。
話の途中、「受け入れ許可はもらった?」という質問をされました。ですが、僕が事前に送っていた書類の中には、実は先生からの受け入れ許可証が同封されていました…そこで担当のフランス人が自分のデスクを漁ったら、開封僕の封筒が現れました。これが、キャンパスフランスです…。

・7月…ビザの手続きや留学の準備です。これはそんなに面倒ではありませんでした。
ビザに必要な書類で、意想外だったのは、「留学先の居住証明書」と「残高証明」です。「残高証明」ですが、奨学金を受給する人は「もらえる奨学金の額が明示された、内定者証明書」が必要です。私費の方は、5000€(6000€だったかな?)の入った「現地で使える口座」の「残高証明」が必要でした。日本国内でこの目的の口座を作る場合には、citi bankが使えると思います。
余談ですが、トラベラーズ・チェックはフランスでは意外と使い勝手が悪いですアメリカとは違って、トラベラーズ・チェックで直接支払えるはまずないですし、その上現金にするのに手数料が1−2%取られます(それでもciti bankの口座から引き落とすよりはマシです。こちらは手数料が引き落とし学の4%!)ここのあたりの戦略は中々難しいものがあります…

・9月…フランス到着。大学の登録手続きが始まります。
まず、大学の受付事務にはinscription administrative(事務登録)とinscription pedagogique(学科登録)の二種類があります。
事務登録ですが、これがとても面倒くさいです…。僕はこのために大学に計5回も足を運びました。以下はその軌跡。

1回目:ストで大学が休み
2回目:事務室に向かい、事務登録のためのアポを取ってもらいました。あと記入する書類をもらいます。
3回目:書類を記入していったら、必要なものがない、と言われて狼狽。足りない書類(学科長のサイン)をもらうべく、学科の事務室に行く。ここのおばちゃんが本当に愛想が悪い…陰鬱な気分になりながらも、なんとか1週間後にサインをもらうことを約束。
4回目:書類をもらい、その足で事務登録を行いに事務局に向かったら、アポをもう一回取れと言われる(2回目のときに、次に来るときはアポを取らなくていいよとおにいちゃんが言ってくれたのにもかかわらず)。ここら辺の詰めの甘さがフランス。仕方ないので、もう一回アポを取る。
5回目:ようやく事務登録にこぎつく。事務員の言葉が早くて、非常にあせる。が、なんとか事務手続きを完了して、学生証を発行してもらいました。

今思い出しましたが、SMEREPとか聞きなれない名前は社会保険の会社の名前です。フランスで社会保険に加入するとは、これがもう一つの会社のどちらかに加入すると言うことのようです。その際に色々保険のパッケージが提示されますが、日本で海外傷害保険に加入した人は、ツイカノパッケージを頼む必要はありません。

次にinscription pedagogique(学科登録)です。これは比較的簡単でした。事務局に行って、指導教官の名前とか、前期・後期のテストは誰先生のを受けるのか(validation du cours)、などを記入するだけです。

さて次は、フランスに着いてから最初の難関である、titre de sejour(滞在許可証)についてです。
パリでは非常に大変のようですが、ぼくはパリ郊外のCreteilに住んでいるせいか、意外とすんなりいきました。
手続きは以下のとおりでした。
・地域のOFII(移民局)に必要書類(ビザ取得時にもらった書類とパスポートのコピー)を送る
→OFIIから事務局に来る日付を記した書類が送られてくる(大体、朝の早い時間に設定されている)
→必要書類を持って事務局に行き、健康診断の受診&事務員との面談の後に、滞在許可証が発行される
Creteilでの滞在許可書の取得については、こちらのホームページが分かりやすいです。
http://hisa5.blogspot.com/2011/01/ofii.html

…今回は、とりあえずここまで。次回は銀行口座の開設や、ネット接続等について、覚えている範囲で書き記したいと思います。

「まどか批評」あれこれ

まどか☆マギカ」、すごい面白いですね。予想を許さない展開に興奮して、一気に10話まで見てしまいました。どんな結末を迎えるのか全く見当も付かないので、素人の僕としては最終回を素直に楽しみにしています。

さて、はてなでちょっと話題のまどマギ批評「約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論」を読み、コメントを付け加えてみました。
やはりと言うか何と言うか、思想系の用語(ベンヤミンの神話的暴力とか権力関係とか)をちりばめている割には、文章の論理性はまったくないです。今日、「現代思想」系の言葉は、自分の意見、というよりは感情をオブラートに包んで表明するための道具なのでしょう。
僕の見る限り、「彼の心の叫び」はこんな風に要約できます。
「他のどのキモヲタより、おれがまどマギの素晴らしさを一番よくわかっているんだ!おれはまどかが大好きだ!異論は認めん!」

そんな「批評」を相手にしているわけで、暇のある方のみ僕の付したコメントをご笑覧ください。

「今、魔法少女―変身ヒロインとしての―概念は危機に晒されている。『魔法少女まどか☆マギカ』 に群がるキモヲタとサブカル評論家たちは、魔法少女概念を蹂躙し、ずたずたに引き裂こうとしているのだ。それが最終回を迎える4月ごろには既に、この王国 には荒れ果てた大地しか残されていないだろう。われわれは簒奪者たちの手から魔法少女概念を救出しなければならない。それも、正しい魔法少女概念を、であ る。そのためには、『まどか☆マギカ』の正しい批評が必要なのである。」


…最初から「正しい魔法少女を理解している俺」と「魔法少女の概念を全く解さないどころか、歪曲させる愚劣な大衆」という勝手な二分法が叫ばれています。しかし、肝心の「正しい魔法少女概念」が何をさしているのかがまったく示されていません。最後まで読み、さらに僕なりの解釈を加えると、次のような意味でこの言葉を用いているようです。

・「誤った(堕落した)魔法少女」…「なのは」に代表される「神話的暴力の元締め」としての魔法少女(またこの「神話的暴力」という言葉の意味が明確に定義されていない。普通は「法律を作り、維持するために必要な暴力」を意味するはずなのですが、文中では「暴力的な運命」の言い換えのようです)
・「正しい魔法少女」…これが、まどか。「神的暴力」の担い手。この神的暴力は文中では「罪と贖罪の交換関係そのものを破壊する暴力」(?)と呼ばれています。この「神的暴力」は意見の割れる難しい概念です(デリダはここにベンヤミンの議論の瑕疵を認めたそう)。大澤真幸先生は「神に比せられる超越的な他者が不在であるとき、正しい行為を自らの責任において選択するということ」という解釈されていますし(詳しくはこちらの論考をご覧ください。http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/shikei-sonchi.htm)。
まあ言葉に惑わされずに大まかなイメージをつかむと、こういいたいのだと思われます。
・ダメな魔法処女…力があるだけ(明らかに、StrikerSのなのは。巨大な力を、「正義」の名の下に、ふりかざしている嫌なヤツ。)
・正当な魔法少女…自己犠牲的(魔法によって、かえって自分の魔法を使う能力を喪失してしまうような)


…とつらつら書きましたが、この辺で僕はギブアップさせていただきます。
中盤から「罪と贖罪の交換関係」を魔法少女は前提とし、「魔法少女は、何も知らぬままにその法を侵犯し、法の侵犯によって罪が与えられる(原文ママです。普通あたえられるのは「罰」ではないでしょうか?)」や「外部によって挿入された世界の主観的な変容を、自身が内なる法として遡及的に受け入れることによって、魔法少女の契約は成立する」云々、とあります。
しかし、僕には意味が分かりませんでした。

(追伸)
最終回でまどかは結局、「魔法少女の概念」になってしまいました。自己犠牲的という、彼の予想はあっていたのでしょうか?

わからなさへ向けて

晩期フーコーの思想を位置づけるのは難しい、というのはフーコー研究者には共通している感想かなと思われます。
なぜ、フーコー古代ギリシャ・ローマの哲学研究へと向かったのか。
最近フランスで出版された本に、『不連続の思考』というのがありましたが、だいたい、その手の議論をまとめるとこんな感じになります、きっと。
フーコーの思考法の本質的な部分とは、「逃走」である。
わたしたちの思考の枠組を暗に支え、規制しているエピステモロジーからの逃走、自分たちの行動を言説的・物理的に制限する権力関係からの逃走、云々…。
そして、最後には、フーコーは自分流の研究の仕方、つまり専門の近代史や、よく使う術語(権力とか主体とか)からさえ「逃走」してしまった。
そして、古代ギリシャ・ローマにおける哲学者・市民の「自己陶冶」、「生存の美学」という、それまでのフーコーの読者からしたら、およそフーコー「らしからぬ」著作を記した。
しかし、このような読者の期待を裏切る形で出版されたフーコーの晩期テクストは、その実、フーコーの思想の本質的部分である「逃走」の思考を、パフォーマティブに実践したものである。
多分、このようなロジックだと思われます。
このような解釈にたいする不満は、一見ラディカルに見えるこのような解釈は、実は非常に形式的なものである、という点です。
誰にでもけっこう当てはまる。
デリダの中期テクストはパフォーマティブである(『存在論的・郵便的』)、あるいは後期ハイデガーの詩的テクストもそういえるのかもしれません。
しかし、このような解釈は、フーコー、ひいては各々の思想家の固有のテキストと向かい合っていない、というてんに、ぼくはむずがゆさを覚えます。
では、晩期フーコーのテキストにどのような解釈を代替案として与えるのか。
極度に単純化して言えば、「わかること」からはじめて「わからないこと」へと到達するのが対話の倫理であり、知性の使い道である、と。
これだけでは何も言っていないのに等しいので、幾つかの傍証を引きます。
まずはヘーゲルの影響です。
フーコーヘーゲルについて語ることが少ないように思われますが、『主体の解釈学』の最後のしめくくりのときに、ヘーゲルの名を挙げて「西洋哲学の完成者」と述べています。
どの意味でそうなのかを理解するのは難しいのですが、おそらくは『精神現象学』における、ヘーゲルの体系的な弁証法を参照しているのだろうと、現時点では考えています。
これは非常に安直な解釈でもう少し深く読み込むべきでしょうが、およそ、ヘーゲル弁証法は「わからないこと」から「分かること」へと進行します。
二つの相反するテーゼの後には、両者を統合する、あるいは両者を基礎付ける総合が出現します。
この総合へと向かう体系的弁証法にたいして、フーコー流の対話は逆方向へと向かいます。
そうフーコーが考えていたふしを示す例として、彼が分析するプラトンのテキストの選び方が特徴的である、という事実が挙げられるかと思います。
なぜ『国家』、『法律』はだめで、『ラケス』、『小ヒッピアス』はいいのか。
それは、前者に置いては、対話はソクラテスによって美しき統合へと到達する一方で、後者の初期プラトン対話篇では、対話がたいてい結論に達することなく終わってしまうからです。
興味深いのは、「勇気」や「嘘」といった誰もがわかっていると思う概念が、その実はまったく定義できず、わからないものであったという暴露の構造が、初期対話篇にあることです。
この「わかること」から「わからないこと」へと進む対話というのが、フーコーをひきつけたのではないか、というのが現時点での考えです。
もちろん、政治的な関心からパレーシア講義を行っていたという言い方も出来るでしょう。
たとえば、王に対する進言としてのパレーシア(フーコー自身も時の大統領から知識人として招かれて話した)。
しかし、このような「わからない」へと向かう対話の条件を探索することにも、晩年のフーコーが関心を持っていたということは、少なくとも言いうるのではないでしょうか。
このような「わからなさ」という亀裂を軸とした対話のなかに、最晩年コレージュドフランス講義のソクラテス対話篇を使った精神指導やディアレクティケー、師と弟子の関係の研究が位置づけられているはずです、きっと。
ここから先の個別的研究(『パイドロス』は?『ゴルギアス』は?結論でてるじゃん?初期フーコーの、たとえば「外の思考」と何が違うの?などのツッコミ)は今後の課題として、今回はこのあたりで。

アン・ローラ・ストーラー『肉体の知識と帝国の権力』レジュメ

ゼミで前に発表したものを転載しました。()の数字は、日本語版のページを示しています。なんで、急に転載しようと思ったかは、僕にも不明です。


アン・ローラ・ストーラー『肉体の知識と帝国の権力』

第一章 親密なるものの系譜―植民地研究の現在
・植民地政策における一大問題とはヨーロッパ人と非ヨーロッパ人とを分ける人種政策であった
 ・その人種判断の基準は、主体の規範的道徳観と「正しい」感情に求められた
 →それゆえ、個人の感情や振る舞いは私的領域ではなく、政治的な領域でもあった
  ・その際に、国家が介入する領域が親密圏である「家庭」であった
・本書の目的は、植民地主義が経済的計画であるよりは、むしろヨーロッパとその諸国家の国民形成に関わる「文化的な」計画であったとことを明確にすることである。

第二章 植民地的範疇を再考する―ヨーロッパ人 社会と支配の境界
・植民地における人種主義にとって、「人種」とは変幻自在に変化するカテゴリー
 ⇔人類学者にとっては、人種の分類は所与のものであり、不変
・ヨーロッパ人という人種は、その内部の亀裂を不可視にする「想像の共同体」
 ・ヨーロッパ人の本質決定に際し、現地の家庭の問題を管理することが重要であった
 ・白人が自己自身を定義する戦場
  1)貧困白人層 2)白人女性
 ・デリの白人貧困層は内縁関係を奨励される
 ∵当初は、白人女性を養うために貧困化されるより、現地人売春婦や混血との婚姻、出産の方が社会的コストが低いと見なされた
 →したがって、内縁関係により、ヨーロッパ人種が不明瞭となる
 ・対抗策として、ヨーロッパ人女性との結婚が政府により奨励される。
  ・「デリ人」という共通の敵の構築、ヨーロッパ人としての自己意識の再形成
 ・「強健な白人男性」のイメージを壊す白人男性は、強制的に移送され、人目から隠された
  →ヨーロッパ人のアイデンティティ確保のため
 ・白人女性の流入は、現地の人種差別を激化させた
  ・白人女性は家庭におけるヨーロッパ人男性の世話をし、道徳を維持させ、ヨーロッパのアイデンティティの構築を担った

・「植民地における権威の内部構造に目を向けた時、帝国の社会的区分と支配の文化的境界を創造し維持すべく選択的に作り直されるヨーロッパの階級的、ジェンダー的な認識と実践の特徴から目をそむけることはむずかしい」(51)

第三章 肉体の知識と帝国の権力―人種の構築におけるジェンダーと道徳
・性の管理と、階級と人種の形成との関係が考察される
 ・「性について考察すること、誰と誰がいつ、どこで関係すること」を許可されたのかを暴くことで、「ミクロな次元 における権力」を明らかにする
・帝国による性的領域への介入の変遷
 ・前期:内縁関係の奨励
  →1880年代には、東インドのヨーロッパ人男性の半数が現地人女性と内縁関係を結ぶ
  ∴ヨーロッパ人のアイデンティティと優越性が脆弱で危機に瀕した、あるいは確実でないことが判明する
 ・後期:ヨーロッパ人に固有の文化的特権と道徳の明示化を目標
  →売春の承認、ヨーロッパ人同士での結婚の奨励
  ・白人女性の要求と、彼女たちに対する現地人男性の潜在的脅威
   →現地に隔絶された「ヨーロッパ的空間」を産出、
・本国における優生学的議論の導入
 ・「住居と教育の隔離、道徳の新たな基準、性的警戒、特定のヨーロッパ人による支配の権利」(80)を裏打ち 
 ・同様に、現地の病(特に文化的汚染)に白人が感染し、「退化」することへの恐怖を植えつける
 →植民地にいる白人女性が家庭の管理を通じて、男性の道徳意識を維持する必要性
・白人の人種の純粋性、アイデンティティに対する最大の脅威としての「混血」
 ・その産物としての混血児は、放置しておけば本国に対する「潜在的脅威」になると想定された
 →混血児が国家の政治的な介入、監視の対象となり、「矯正」により本来的姿を取り戻す必要性が主張される
  ・この点における、白人女性による「正しい」家庭管理の重要性

第四章 性の恥辱と人種の境界―文化的能力と混血のあやうさ
・帝国内で定まった領域に属さず、境界を侵犯する人物である混血児の問題
→「誰が本当のヨーロッパ人なのか」:人種を規定する文化的基準の問いが俎上に載せられる
 ・今日の「文化的人種主義」は、「生物学的人種主義」の変化ではなく、かつての植民地期の議論の再登場
・混血は国家に対する「外部からの脅威」ではなく、むしろ「内側からの脅威」
 ・フィヒテの「内的境界」論:内的な言語の同一性に対する脅威こそ、民族的アイデンティティへの真の脅威
 ⇔ストーラーの見解では、「正しい」道徳的行動が内的境界を形成する
→子供の、特に遺棄された混血児の家庭での道徳教育と、現地人に対する「正しい」心理状態が国家による管理の対象となる
 ・文化的能力(「正しい」感情と道徳)の保持こそが国民への包摂/排除を決定する
 ⇔生物学的属性は包摂/排除の最終的決定因でなく、副次的な要素にすぎない
・「遺棄」された混血児の扱いをめぐる問題の浮上
 ・遺棄とは「子供の死」ではなく、「ヨーロッパ共同体」からの排除、原住民世界への投棄を意味した
→帝国の文化へ徹底的に同化させるか、あるいは特別な法律上のカテゴリーを設けるべきか、という問い
・オランダは混血児を自国の文化に同化する政策をとり、このモデルはフランスでも賞賛される
⇔現実には、オランダ領東インドは、法律上はヨーロッパ人に分類されるが、実際にはオランダ語を話せない混血児が大半を占めていた
 →「ヨーロッパ人」という法律上のカテゴリーに対する、原住民の「不正な」アクセスが問題視された
・混血に対する法律上のカテゴリーの設置は政治的に認可されなかった
 →人種を区別するために、より精密な文化的指標が練り上げられ、「文化環境」という概念が構築された
・遺棄された混血は「適切な」文化環境に置かれても、「本性上」、常に不道徳に回帰すると見なされた
 ・今日のフランスの極右言説との類似性:純粋性が混血に汚染され、国民が衰退するという恐怖
・「支配する者/される者」の二極化への欲望と、それに対抗する者としての混血性へ絶えざる恐怖
 
第五章 感情教育―帝国における境界線上のに子供 たち
・子供に自らの所属場所と人種を教える、「内面」の教育が目標とされた
→植民地行政は、ヨーロッパ共同体への所属が「真のオランダ、フランス人」に対する目に見えない愛着と、現地社会に対する「落ち着かなさ」の感情によって規定されると考えた
・オランダ領インド生まれのヨーロッパ人の惨めな躾に関する、表面上二つの言説の比較
 1.内縁が赦された時代:ヨーロッパ人の子供と現地住民の子供とが共に教育を受けることが目的
 2.内縁が禁止された時代:現地住民の子からヨーロッパ人の子を厳格に隔離することが目的
→しかし、両者は共に「感情」と包摂の問題を結ぶ点では等価
・子供は「誤った」方向へと進む傾向を持つため、「正しさ」を保つために国家が介入する必要があった
 ・とりわけ、混血児は国家に対する潜在的脅威と見なされたため注意を要した
・初めは、「保育所」が子供の教育の特権的領域であり、主な教育科目は二つであった。
 ・「正しい」感情を操作できるオランダ語を習得させること
 ・ヨーロッパ的な道徳観を植えつけること
 ⇔しかし、オランダ人女性の流入が増加したために、保育所の価値は次第に低下した
・次なる植民地政府の試みは、家庭の管理方法に介入であった
 ・家庭での子育ての中心問題は、子供に境界線の侵犯を許してしまう使用人の配置であった
 ∵子供の国民的アイデンティティが危険にさらされるかもしれない

第六章 フーコーを植民地的に読む―ブルジョワ的身体と人種的自己
フーコーによる人種間闘争言説の系譜学と国家の生政治
・言説の「多義的機動性」

第七章 ジャワにおける記憶‐すること(memory work)―警告する物語
・本章では、インドネシアの使用人の記憶の歴史が対象とされる
・記憶の回想によって疑いに付される二つの物語
 1.オランダ人による、「愛すべき」使用人、という物語
 2.過去の植民地時代の真実を暴く「サバルタンの記憶」という物語
  ・「記憶には耳を傾ける人を待つ特別な話が保管され、栓を開けば流れ出るように、抑圧され、認識が及んでいない資料が蓄えられているという前提」(207)にナイーブにも基づいている
  →サバルタンの語りは「批判」というコンテクストの内部でのみ作用するため、「立ち向かう敵も英雄もいない記憶を理解するためにそれほど役立つわけではない」(209)
 ・本章で対象となる記憶は不均質、不安定なものである。「過去の繰り返しは記憶が語られるまさにその言葉のなかで起こるのであり、同じ表現が『異なるゲームをする[機能を果たす:引用者注]』ように用いられるなかで演じられるのである」(209)。

・ストーラーによる「長いあいだ植民地時代のオランダ人の家庭にいた人 たちと話していると、異なる歴史的解釈を引き出すのは『植民地時代の記憶』だけではないことがわかる。われわれが注意をむけざるをえなかったのは、決まり文句と具体的細部やジャワ人の礼儀正しさと乱暴なオランダ人の言葉のあいだで揺れ動き、レシピに書かれた料理の材料や何でもない買い物リストからそのとき の会話を劇的によみがえらせる人々の対応の仕方である。手触りや味や匂いを思い出すことは整った話にまとまるわけでもなく、オランダ政府への抵抗運動をめ ぐる語りのように固定化できるものでもない。1930年代から日本占領期まで、あるいは1950年代から現在まで、人生に起こったさまざまな側面が重なり 合いながら、植民地時代を社会関係と政治の、あるいは経験と記憶の特異な領域であると見なすことをこうした話は拒否しているのである。(中略:脱植民地化のコンテクストにおける一定のモードと有用性を持った語り)こうした論点を規定の結論ではなく探求の出発点とすることによって、解釈者の権利は不安定になり、植民地時代について知っていること は危うくなり、植民地以後に定義された要求のいくつかのものに安住できなくなるだろう。植民地時代の記憶についてさらに研究を続けなければならないのであ り、『植民地』は定まった分析範疇ではなく、探求の主題なのである」(249)。

フランス語の練習

和文仏訳はとても難しいです…。以下、私的覚書き。

Osawa-Foucault, qui a illustré vivement le caractère du pouvoir moderne. À mon avis, il l'a caractérisé de deux manières différents, et en fait, il y en a une rupture alors qu'ils etaient considérés comme inséparables.
Tout d'abord vient le pouvoir disciplinaire, que M.Azuma a remarqué tout a l'heure; celui qui informe l'interiorité subjective. Il fait du corps humain un individu moral qui a l'intérioté, c'est-à-dire, un sujet qui peut se maîtriser. On peut citer comme exemple un instrucion à l'école. Ce qui compte à l'école, ce n'est pas d'enseigner chaque discipline, mais de former une attitude que vous prenez maintenant; écouter l'enseignant silencieusement. Le silence peut être gardé sans la menace par personne; une telle attitude doit beaucoup à l'écolisation. Je cite un exemple. On dit que la défaite de la troupe paysanne dans la guerre civile sud-ouest principalement résulte d'un fait qu'elle n'a pas pu être bien organisée. Une organisation simple d'un avancement ordonné est rendue possible par l'instruction à l'école. Comme on peut le voir dans cet exemple, un des deux éléments du pouvoir moderne est la formation d'un sujet capable de se maîtriser volontairement.
L'autre caractère que Foucault en a évoqué consiste au changement de son objet; de la mort à la vie. Dans l'époque ancien, le pouvoir etait constitué de la capacité de faire mourir les sujets d'une manière arbitraire. La vie du peuple n'a pas alors constitué de grand problème au pouvoir. Au contraire, le pouvoir moderne a commencé premièrement à intervenir dans les affaires de la vie de la popuation, à savoir, du bon vivre du publique. Il est non celui qui fait mourir, mais celui qui fait vivre. Pour la première fois, il a fait de la notion de 'population' son propre sujet. Ce pouvoir qui fait vivre s'est traduit au début par le Polizeiwissenschaft du 17eme siècle, et il a pris des différents formes dans le 19eme siècle. Un nombre de foucaldiens, aujoud'hui, se consacrent à l'étude d'un régime dit du 'Etat providence' de plus en plus puissant dans la deuxième moitié du 19 siècle dans une perspective de 'bio-pouvoir'.

フランス滞在記その一

フランスに来てから1ヶ月経ちました。一ヶ月で会話をストレスなくこなすようになるのは無理だということを、痛感しました。語学の壁は意外と高いです。オーラル・コミュニケーションのスキルアップのためにも、授業には多めに出ておこうかと思います。とにかく、フランス人に揉まれないと始まらないのが会話ですから…ご学友をつくらねば。(ゆくゆくは、DALFのC1、できればC2に肉薄できるレベルにまで一年でもって行ければと)

修論の執筆について
主題は、「晩年のフーコーにおける修辞学的言説と哲学的言説との差異について」で執筆します。内容はかいつまんで言うと、以下の通りです。
「修辞学においては、目的は発話者(師)の意図を的確に聞き手(弟子)の上に実現することが目指される。他方で、哲学的言説においては、発話者の意図を超えて、聞き手が発話者の言葉の内に示されていないことを「勘違いして聞き取り」、予想外の方向へ行ってしまう(文脈からの逸脱→パレーシア的発話)。では、修辞学的言説と哲学的言説との構造上の差異は、一体どこにあるのか。それは、哲学的言説が「真理」をを目指して進む対話である、という点にある(もちろん、唯一絶対の真理が客観的にあると思ってはいない。思っている「ふり」をしている。むしろ、絶対の真理には到達不可であることを承知の上で対話をしているともいえる(アド『古代哲学とは何か』)」
 ここで、パレーシア的発話の機能としてフーコーが着目したの点が、「現在とのズレ」(=出来事)であると言えると、博士論文の執筆が非常にしやすいです。僕の博士論文の暫定的なタイトルは、「ミシェル・フーコーのテクストにおける『出来事』とその効果について―」。《外》や「出来事」、「真理」など、これを示す言葉は結構あると思うのですが、主張は単純で「思ってもなかった自分に変われるための諸条件は何か。それが「真理」とか《外》で示されるものなのではないか(ハイデガーの「真理(アレーテイア)」は存在者にアイデンティティ=自己充足をもたらす…と思いますが、反対にフーコーの「真理」は他者性(alterite)=自己とのズレをもたらす)。なんか、『存在論的、郵便的』っぽい図式ですが、当面はこの作業仮説をもとに、フーコーのテクストを年代ごとにまとめ、内容の相違について再考してみます。たぶん、中期の権力論のくだりをどう始末するかがキモになってきます。