アン・ローラ・ストーラー『肉体の知識と帝国の権力』レジュメ

ゼミで前に発表したものを転載しました。()の数字は、日本語版のページを示しています。なんで、急に転載しようと思ったかは、僕にも不明です。


アン・ローラ・ストーラー『肉体の知識と帝国の権力』

第一章 親密なるものの系譜―植民地研究の現在
・植民地政策における一大問題とはヨーロッパ人と非ヨーロッパ人とを分ける人種政策であった
 ・その人種判断の基準は、主体の規範的道徳観と「正しい」感情に求められた
 →それゆえ、個人の感情や振る舞いは私的領域ではなく、政治的な領域でもあった
  ・その際に、国家が介入する領域が親密圏である「家庭」であった
・本書の目的は、植民地主義が経済的計画であるよりは、むしろヨーロッパとその諸国家の国民形成に関わる「文化的な」計画であったとことを明確にすることである。

第二章 植民地的範疇を再考する―ヨーロッパ人 社会と支配の境界
・植民地における人種主義にとって、「人種」とは変幻自在に変化するカテゴリー
 ⇔人類学者にとっては、人種の分類は所与のものであり、不変
・ヨーロッパ人という人種は、その内部の亀裂を不可視にする「想像の共同体」
 ・ヨーロッパ人の本質決定に際し、現地の家庭の問題を管理することが重要であった
 ・白人が自己自身を定義する戦場
  1)貧困白人層 2)白人女性
 ・デリの白人貧困層は内縁関係を奨励される
 ∵当初は、白人女性を養うために貧困化されるより、現地人売春婦や混血との婚姻、出産の方が社会的コストが低いと見なされた
 →したがって、内縁関係により、ヨーロッパ人種が不明瞭となる
 ・対抗策として、ヨーロッパ人女性との結婚が政府により奨励される。
  ・「デリ人」という共通の敵の構築、ヨーロッパ人としての自己意識の再形成
 ・「強健な白人男性」のイメージを壊す白人男性は、強制的に移送され、人目から隠された
  →ヨーロッパ人のアイデンティティ確保のため
 ・白人女性の流入は、現地の人種差別を激化させた
  ・白人女性は家庭におけるヨーロッパ人男性の世話をし、道徳を維持させ、ヨーロッパのアイデンティティの構築を担った

・「植民地における権威の内部構造に目を向けた時、帝国の社会的区分と支配の文化的境界を創造し維持すべく選択的に作り直されるヨーロッパの階級的、ジェンダー的な認識と実践の特徴から目をそむけることはむずかしい」(51)

第三章 肉体の知識と帝国の権力―人種の構築におけるジェンダーと道徳
・性の管理と、階級と人種の形成との関係が考察される
 ・「性について考察すること、誰と誰がいつ、どこで関係すること」を許可されたのかを暴くことで、「ミクロな次元 における権力」を明らかにする
・帝国による性的領域への介入の変遷
 ・前期:内縁関係の奨励
  →1880年代には、東インドのヨーロッパ人男性の半数が現地人女性と内縁関係を結ぶ
  ∴ヨーロッパ人のアイデンティティと優越性が脆弱で危機に瀕した、あるいは確実でないことが判明する
 ・後期:ヨーロッパ人に固有の文化的特権と道徳の明示化を目標
  →売春の承認、ヨーロッパ人同士での結婚の奨励
  ・白人女性の要求と、彼女たちに対する現地人男性の潜在的脅威
   →現地に隔絶された「ヨーロッパ的空間」を産出、
・本国における優生学的議論の導入
 ・「住居と教育の隔離、道徳の新たな基準、性的警戒、特定のヨーロッパ人による支配の権利」(80)を裏打ち 
 ・同様に、現地の病(特に文化的汚染)に白人が感染し、「退化」することへの恐怖を植えつける
 →植民地にいる白人女性が家庭の管理を通じて、男性の道徳意識を維持する必要性
・白人の人種の純粋性、アイデンティティに対する最大の脅威としての「混血」
 ・その産物としての混血児は、放置しておけば本国に対する「潜在的脅威」になると想定された
 →混血児が国家の政治的な介入、監視の対象となり、「矯正」により本来的姿を取り戻す必要性が主張される
  ・この点における、白人女性による「正しい」家庭管理の重要性

第四章 性の恥辱と人種の境界―文化的能力と混血のあやうさ
・帝国内で定まった領域に属さず、境界を侵犯する人物である混血児の問題
→「誰が本当のヨーロッパ人なのか」:人種を規定する文化的基準の問いが俎上に載せられる
 ・今日の「文化的人種主義」は、「生物学的人種主義」の変化ではなく、かつての植民地期の議論の再登場
・混血は国家に対する「外部からの脅威」ではなく、むしろ「内側からの脅威」
 ・フィヒテの「内的境界」論:内的な言語の同一性に対する脅威こそ、民族的アイデンティティへの真の脅威
 ⇔ストーラーの見解では、「正しい」道徳的行動が内的境界を形成する
→子供の、特に遺棄された混血児の家庭での道徳教育と、現地人に対する「正しい」心理状態が国家による管理の対象となる
 ・文化的能力(「正しい」感情と道徳)の保持こそが国民への包摂/排除を決定する
 ⇔生物学的属性は包摂/排除の最終的決定因でなく、副次的な要素にすぎない
・「遺棄」された混血児の扱いをめぐる問題の浮上
 ・遺棄とは「子供の死」ではなく、「ヨーロッパ共同体」からの排除、原住民世界への投棄を意味した
→帝国の文化へ徹底的に同化させるか、あるいは特別な法律上のカテゴリーを設けるべきか、という問い
・オランダは混血児を自国の文化に同化する政策をとり、このモデルはフランスでも賞賛される
⇔現実には、オランダ領東インドは、法律上はヨーロッパ人に分類されるが、実際にはオランダ語を話せない混血児が大半を占めていた
 →「ヨーロッパ人」という法律上のカテゴリーに対する、原住民の「不正な」アクセスが問題視された
・混血に対する法律上のカテゴリーの設置は政治的に認可されなかった
 →人種を区別するために、より精密な文化的指標が練り上げられ、「文化環境」という概念が構築された
・遺棄された混血は「適切な」文化環境に置かれても、「本性上」、常に不道徳に回帰すると見なされた
 ・今日のフランスの極右言説との類似性:純粋性が混血に汚染され、国民が衰退するという恐怖
・「支配する者/される者」の二極化への欲望と、それに対抗する者としての混血性へ絶えざる恐怖
 
第五章 感情教育―帝国における境界線上のに子供 たち
・子供に自らの所属場所と人種を教える、「内面」の教育が目標とされた
→植民地行政は、ヨーロッパ共同体への所属が「真のオランダ、フランス人」に対する目に見えない愛着と、現地社会に対する「落ち着かなさ」の感情によって規定されると考えた
・オランダ領インド生まれのヨーロッパ人の惨めな躾に関する、表面上二つの言説の比較
 1.内縁が赦された時代:ヨーロッパ人の子供と現地住民の子供とが共に教育を受けることが目的
 2.内縁が禁止された時代:現地住民の子からヨーロッパ人の子を厳格に隔離することが目的
→しかし、両者は共に「感情」と包摂の問題を結ぶ点では等価
・子供は「誤った」方向へと進む傾向を持つため、「正しさ」を保つために国家が介入する必要があった
 ・とりわけ、混血児は国家に対する潜在的脅威と見なされたため注意を要した
・初めは、「保育所」が子供の教育の特権的領域であり、主な教育科目は二つであった。
 ・「正しい」感情を操作できるオランダ語を習得させること
 ・ヨーロッパ的な道徳観を植えつけること
 ⇔しかし、オランダ人女性の流入が増加したために、保育所の価値は次第に低下した
・次なる植民地政府の試みは、家庭の管理方法に介入であった
 ・家庭での子育ての中心問題は、子供に境界線の侵犯を許してしまう使用人の配置であった
 ∵子供の国民的アイデンティティが危険にさらされるかもしれない

第六章 フーコーを植民地的に読む―ブルジョワ的身体と人種的自己
フーコーによる人種間闘争言説の系譜学と国家の生政治
・言説の「多義的機動性」

第七章 ジャワにおける記憶‐すること(memory work)―警告する物語
・本章では、インドネシアの使用人の記憶の歴史が対象とされる
・記憶の回想によって疑いに付される二つの物語
 1.オランダ人による、「愛すべき」使用人、という物語
 2.過去の植民地時代の真実を暴く「サバルタンの記憶」という物語
  ・「記憶には耳を傾ける人を待つ特別な話が保管され、栓を開けば流れ出るように、抑圧され、認識が及んでいない資料が蓄えられているという前提」(207)にナイーブにも基づいている
  →サバルタンの語りは「批判」というコンテクストの内部でのみ作用するため、「立ち向かう敵も英雄もいない記憶を理解するためにそれほど役立つわけではない」(209)
 ・本章で対象となる記憶は不均質、不安定なものである。「過去の繰り返しは記憶が語られるまさにその言葉のなかで起こるのであり、同じ表現が『異なるゲームをする[機能を果たす:引用者注]』ように用いられるなかで演じられるのである」(209)。

・ストーラーによる「長いあいだ植民地時代のオランダ人の家庭にいた人 たちと話していると、異なる歴史的解釈を引き出すのは『植民地時代の記憶』だけではないことがわかる。われわれが注意をむけざるをえなかったのは、決まり文句と具体的細部やジャワ人の礼儀正しさと乱暴なオランダ人の言葉のあいだで揺れ動き、レシピに書かれた料理の材料や何でもない買い物リストからそのとき の会話を劇的によみがえらせる人々の対応の仕方である。手触りや味や匂いを思い出すことは整った話にまとまるわけでもなく、オランダ政府への抵抗運動をめ ぐる語りのように固定化できるものでもない。1930年代から日本占領期まで、あるいは1950年代から現在まで、人生に起こったさまざまな側面が重なり 合いながら、植民地時代を社会関係と政治の、あるいは経験と記憶の特異な領域であると見なすことをこうした話は拒否しているのである。(中略:脱植民地化のコンテクストにおける一定のモードと有用性を持った語り)こうした論点を規定の結論ではなく探求の出発点とすることによって、解釈者の権利は不安定になり、植民地時代について知っていること は危うくなり、植民地以後に定義された要求のいくつかのものに安住できなくなるだろう。植民地時代の記憶についてさらに研究を続けなければならないのであ り、『植民地』は定まった分析範疇ではなく、探求の主題なのである」(249)。